視えないものが視えない
私は視えないものが視えません。小学校の頃寝てる時に上からなんか怖いものが被さってイタズラしようとしてきたとか、相手の霊力が高いおかげで自分の霊力が引き上がって、相手の"顔が消えた"ことならあります。あの時はホントに『松果体』の部分がジリジリジンジン活性化していたことを覚えています。しかも翌日まで残ってました。
視えることに対して最初は怖くて、視えてる人達って辛そうで。僕も視たくなかったんです。
ただ勉強していくと天使、龍、仏様とか応援、守ってくれる存在が視える人達がいて。
それだったら自分も視たいなぁと思って練習を始めたんです。
それがなかなかねぇ。"この辺にいる!"とか"聞く"とかはなんとなく分かっては来たんですけど、"視る"ってのがどうしても、、、
『次の人生どうやって生きていこうかなぁ』
人生に迷っていた時期に、視えないものが視える人達に相談していたんです。
でもなかなかピンと来なくて、その時も同じ質問をしたんですね。
「どうやって生きたいと思いますか?」
そしたら逆にオウム返しされて。
「自分で決めたい・・・⁇」
つまり"私の魂は答えを聞きたくない・知りたくない"って言ってるんですと。
"自分で自分の人生を決めたい"と。
なんか嬉しかったんですよね。軸が自分に戻った感じで。
なんだ僕の魂は自分で決めたいんだと。
そうやって考えていくと、自分がしたくても出来ないことって
自分の魂がしたくないと言ってるんだなと。
『視えない』んじゃくて、『視たくない』んだなと。
今は視えない方がいい理由があるんだと感じました。
だから理由を考えた方が早いんでしょうね。
スピリチュアルに興味ない人/多少興味ある人/懐疑的な人とヘビースピリチュアリストの間を繋ぐお役目かなと自分のことを思ってて、だから視えない方が、視えない人にも寄り添えるみたいなこともあるのかなと思ったり。
他にもあるんだと思います。
そこを内観して、おいおい分かっていったらいいなと思います😄