LGBT コラム

ゲイとしてのアイデンティティ〜20代NY一人旅〜

ニューヨーク一人旅トップ画像

最近はずいぶん発言権を得てきましたが、僕が思春期の頃の日本は、セクシャルマイノリティの存在がほとんど認められていませんでした。
”自分は生きていてはいけない”と思っていた中学・高校時代の僕を励ましてくれたのは、大人なおしゃれ雑誌エスクワイアのニューヨーク特集号。何度も何度も見返していました。
中学時代から憧れていたニューヨークへ、1人で行った時の思い出です。

ゲイ同士で手を繋いで外を歩けるパラダイス

ヤスくんアバターゲイである自分のセクシャリティをはっきりと認識して、”忌むべき存在の自分は生きてはいけない…”という考え方から抜け出せずに独りもがいていた中学・高校時代。

当時の僕を支えてくれたのは、セクシャルマイノリティーの人たちが権利を主張できる場所、ニューヨークの存在でした。街の様子を雑誌エスクワイアでみて、救われました。

『ゲイの人たちが堂々と手を繋いで歩けるパラダイス。いつかきっと行ってみたい。』
そう思いました。

到着早々のアクシデントもへっちゃらでした

ニューヨーク一人旅・到着当時のイメージ

ドキドキしっぱなしで14時間飛行機に乗り、なんとか辿り着いた空港ですぐさま現地の洗礼を受けます。

拙い英語で乗り切ろうとしたら、知らない白バンに乗せられ、15分くらい車で走った先の全く知らない街中で降ろされたあげく、何万円かを支払うことに…。

今思い出すと恐ろしいアクシデントですが、あの時は全然平気でした。長年夢にまでみたニューヨークなんです。そんなことではちっとも心は折れませんでしたよ。

ニューヨーク ゲイ パレードに参加

ニューヨークゲイパレード

旅の目玉は、ニューヨークゲイパレードへの参加でした。僕は、黒留袖に金髪のカツラという格好で参戦。
その時のゲイパレードでは、大企業や公的機関がフロート車を出していて、観光客との間にバリケードが設置されていました。フロート車の後ろを歩きたい僕は困ってしまいましたが、陽気なジャマイカ人グループに声をかけたら、快く仲間として中に入れてくれたんです。そのグループのおかげで、念願だったパレードに参加して5番街を練り歩くことができました。

想像してみてください。陽気なジャマイカ人グループと、黒留め袖を着た不思議なアジア人が、観光客からの視線を浴びながら5番街を練り歩くんです。すごく自由で寛容な空気じゃないですか??
その時、自分の権利を主張することができたように感じて、すごく嬉しくて楽しくて誇らしい気持ちになりました。

ニューヨークを練り歩く

最高の気持ちで5番街を練り歩いた時

パレードへ行く途中

パレードへ向かう途中の電車

ゲイとしての自分で堂々としていられるニューヨークを堪能

  • ニューヨークでゲイの人たちが人権を主張するきっかけとなったストンウォール事件のパブに行ってみたり
  • セクシャルマイノリティーの人たちが安心して勉強が出来るような学校を見たり
  • その当時ゲイタウンと呼ばれていたチェルシー地区に行って、実際にゲイの人たちが外で楽しくお茶をしてるとこ目撃したり…

ニューヨークでは、ゲイパレードへの参加の他にも、当時の僕が感じたかったニューヨークならではの空気に触れて、とても幸せな時間を過ごします。
プライド月間だったためなのか、ゲイフレンドリーなお店にはレインボーフラッグが掲げてあったこともすごく印象的でした。


ヤスくんアバター

夜には頑張ってクラブへ行ってちょっとした出会いなども体験しちゃいました。

※ 余談ですがお相手は日本人が好きなおじさんでした。家の中に仏像がとてもおしゃれに置いてありました。

その他、世界中をバックパックで旅している日本人の方と一緒に古着屋さんへ行ったり、現地のニューヨークのお友達のお家にお邪魔させてもらったり、たまたま開催されていたホットドック早食い世界選手権大会を見学したり、とても充実した10日間でした。

 

セクシャルマイノリティーの権利をちゃんと主張してる国のセクシャルマイノリティーの方達がどのように暮らしているのかを、少しでも垣間見れたことがよかったです。
中学高校時代は、自分の存在をどう認識したらいいのか分からず混乱して”生きていてはいけない”という考えに囚われていたのですが、彼らの生活を少しだけですが垣間見たことで、自信を取り戻せたような気がします。

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