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脱サラ -組織が苦手なマドの例-

マドの脱サライメージ

今では『組織の中ではやっていけない』と自認しているマドですが、若い頃はそんなことは知りません。経験値がないんだからしょうがないです。組織の中で普通にやっていけるよう踏ん張ろうとした時期もありました。

ーマドの経歴ー
モラトリアムをこじらせて大学院まで進学し(奨学金を借りてまで進学したためその後返済し続ける結果に‥)、就職できたものの偏差値の高いメンバーが集まる会社はついていけずに1年足らずで退社、中卒の上司がいる会社へ転職したら元気になって結構仕事も楽しくなり、楽しくなったら恐れ多くも「もっとやりたい」なんて欲が出てちょっと上品な会社へ転職。でも、転職した先では会議でトンチンカンな発言をしまくりボコボコにされて、それでようやく、『組織でやっていくのって私には難しすぎる…』と認識できて脱サラ。

脱サラ後は、もうやるしかないと、いろんなことを請け負いながら自営業(自由業?)で生きてきました。

会社を辞めてからも自分の特性と仕事内容・外部環境とのすり合わせについて試行錯誤の連続で、(ようやくちょっと楽になってきたなぁ)と思う今日この頃。
このページに書いてあるのは、『苦手なこと、合わない環境からは全力で逃げた方がハッピー』というマドの心の叫びです。

はた迷惑な会社員時代

会社員時代の最後の仕事は派遣や請負の営業です(※)。クリエイティブ業界を専門にやっていたので、周りはデザイナーさんやライターさん、カメラマンさん、エンジニアさんなど、独自のスキルを持った方々に囲まれていました。

(※)2回転職しており、最初は金融系、次はブルーカラーの派遣営業、そして最後にクリエイターさんの派遣・請負営業です。

常に抱いていたのは、(自分は営業としてクリエイターさんとクライアントを繋がせてもらっている。今の仕事も好きだけど、本当は、皆さんみたいに独自のスキルを持ちたいなぁ…)という憧れの気持ち。
ただ、当時の仕事が好きだったのも本当です。大好きで尊敬するクリエイターさんをクライアントに売り込むのは私の性分に合っていて、結構上手に数字をあげることができたというラッキーも重なり、やりがいを感じていました。

でも、冒頭で書いている通り、私には組織でやっていける資質がありません。社内運営のための書類はほとんど提出期限を守れなくて全体会議で吊し上げの刑となり、マネージャー研修では居眠りをして叱責を受け、おじさまおばさまに囲まれながら(当時私はまだ20代)支社代表としてオンラインのマネージャー会議に出させていただいたらトンチンカンなことを言ってフルボッコにされる始末でした。

自己肯定感がだだ下がり、どうにもやるせない気分を制御できずにやけ酒の量がどんどん増えていく日々。
(こんなに上手くやれない組織生活をこの先何十年もやっていくなんて、自傷行為を繰り返しながら生きていくようなものではないか:(;゙゚'ω゚'):)という言い知れぬ恐怖から、30ちょい過ぎの歳で退職届を出しました。

脱サラ後の仕事 -マドの例-

会社員時代の私はクリエイティブな創作活動ができる方々に強く強く憧れていました。
だからもちろん、会社を辞めて自由になった時には、自分にできるクリエイティブな仕事を探します。なんとなく思ったのは、(営業ができたんだから、インタビューして記事を書くこともできるんじゃないかなぁ)ということ。

色々考えると不安になるので、とりあえず、会社員時代お世話になった方々へ「インタビュアーの仕事をください」とお願いして回ったところ、フリーペーパーに掲載する取材インタビューの仕事をいただくことができました。
未経験なのはバレているはずでしたが、結構ワイルドな仕事の任され方だったのが良かったです。最初の1回付き添っていただいたのみで、その後からは、『インタビューする方とのアポドリ・写真撮影・インタビュー・記事執筆・原稿確認依頼・校正』と、全て自分で取り仕切らせていただけました。

最初の頃は、やっぱり不慣れですごく疲れました。1000文字程度を書くにも一昼夜を費やし、それでも自分の原稿に自信が持てず不安で不安で、インタビューした方に確認依頼のメールをした後は返信が来るまでキリキリピリピリドキドキしていたように思います。その分、褒めてもらえた時や納品が完了した時には達成感をすごく感じられていたし、今振り返ってみると、経験値が増えていくに従ってだんだん慣れていく自分の変化を実感できた瞬間、自分を誇らしく感じられてすごく嬉しかった記憶があります。

そんなこんなでインタビューをする経験が増えると、知り合いが他の仕事も紹介してくれるようになりました。こういうやさしいつながりは地方ならではかもしれませんね。webサイトのディレクションや会社パンフの作成、商品紹介のプロモーションディレクションなど、だんだんと経験値が広がっていき、なんとか今に至ります。
★ 少し蛇足ですが、私の場合は営業経験を生かして広告営業も少しやらせてもらっていました。ここでできた繋がりから制作の仕事をいただいたりもしています。

思い出話:脱サラしたはずなのに、組織に揉まれそうになった時のこと。

「せっかく会社を辞めて組織から解放されたのに、また組織に揉まれることになるとは…。」
これは、会社を辞めて数ヶ月たった時にぶち当たった壁についての思い出話です。

幸運でありがたい出会いが訪れるという実体験

未経験からのライター業を始めたばかりで、インタビュアーの経験値をせっせと高めていた頃のこと。とある知り合いから、とある会社の社内報を全面的に任せてもらえるという仕事を紹介していただくことができました。

(なんという幸運。ただ、私にはハードルが高いかも。無理そうだったら感謝してお断りしよう。)
そう思いながらその会社の社長さんとお会いさせていただいたところ、なぜか社長さんの保護養育本能に火がついて、
「あなたを全面的に応援したい!うちの仕事をしながらどんどん経験値を増やしてください!経済的な心配をしなくて済むよう、十分な仕事の量と、効率的に回せるような仕組みづくりを考えますよ!」
というお言葉を賜ることとなります。

びっくりして状況が飲み込めないままお礼を述べて解散した後は、
(なぜ?!ありがたい!でもなぜ?!)
(がんばろう!でもそこまで自信ないかも…。やばいかも?!でもとにかくがんばろう!)
というループが心の中で続きます。
『プレッシャー』『何が起きたのか解せない気持ち』『経済的な不安からの解放』『いいものができなかったらどうしようという不安』などなど色々な気持ちと戦うことを脱サラ後初めて味わったのがこの時でした。

こうした『なぜかすごく応援してくれる方との幸運な出会い』は、実は、フリーで創作活動をしている多くの方が経験しているようです。”天が見守っていてくれる””生きてるといいことが降ってくる””真っ直ぐ堂々と生きていたら大丈夫”。フリーの方がそういう言葉を発することが多いのは、体験を通してそう実感しているからなんだろうなと思います。

 

経験から学んだ、外部環境の自己調整も大切という教訓

いざ仕事に取り掛かり、自分なりに一生懸命できる限りの思いを込めて制作したところ、幸いなことに初稿は絶賛していただけました。

だがしかし。安心したのも束の間。
社長の保護養育本能センサーの発動ゆえに、初稿を提出する頃には、社員の皆様が受けているセミナーや研修へ私も参加させていただく流れが出来上がっていたのです。

散々繰り返し書いていますが、セミナーや研修、組織の皆様とのつながりは、最も私が苦手とする分野です。上手くできず、また、それをやることの意味が自分の中で消化できず、自己肯定感がどんどんどんどん下がっていきます。さらに難しいことに、良かれと思って機会をくださっている社長には、到底そんなことは申し上げられません。きっと説明させていただいたとしても社長に理解いただける内容ではないでしょう。

結果的にその仕事は数ヶ月で打ち切りとなりました。
何をどうしたのか、必死すぎて当時のことはあまり思い出せません。
未経験の私にチャンスをくださった社長には心から申し訳なく自分が恥ずかしくなりましたが、仕事が打ち切りになったことですごくホッとして夜も眠れるようになりました。

この経験は、組織でやっていくってやっぱり自分にとっては本当に怖いことであり、最優先事項は組織に混ざらなくても生きていける仕事をすることだと再認識した出来事でした。
自分はどういうところでなら業務を遂行できるのか、自分を理解して自分で環境を調整することも、脱サラした後にはすごく重要です。

 

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